【若者は外へ行くけど、僕はその若者が帰ってくるこの場所を残し続けたい】
4月になって職場でお世話になった方々の異動だったり、僕の座席も変わり、いろーんなことがこの4月のど頭にあって、あっという間に一週間以上が経つけど、チームでやってきた大事なそのメンバーはバラバラになってしまって、それはまるで、テーブルに並べられた豪華料理がひっくり返されたような感じ。散らばった料理は床に叩きつけられてもう食べられないかもしれないけど。僕はどうにかして、その料理を拾い集めたい。どんな形になろうとも。きっと温めれば食べられる。味はだって変わらないでしょ?
僕は職場を後にした年上の偉い方にひっそりとこんな手紙を書いて渡しました。
それは「ふるさと」についてです。※一部抜粋↓
僕が考える「ふるさと」って父や母のような存在なんだと思うのです。それは何を意味しているのかと言いますと、僕のふるさとは東京です。東京はきっとこれからも首都であり続けるでしょう。ミサイルが落ちて壊滅するまで日本の中心であり続けることでしょう。人口もきっと天変地異が起こらない限り、増え続けることだと思います。
一方地方はどうでしょうか。若者はどんどん首都圏を目指して移住します。でも、それは間違った選択ではないと思ってます。外の世界を見たいって、それは若者であれば当たり前です。
少し話は変わりますが、僕が移住した年の[1]あんどんまつりの出来事です。驚いたのは4つの山車が交差点に集まったときです。あれだけの人、あれだけの若者があの4つの山車を見上げるわけです。それはお盆だからでしょうか?きっと様々な理由があると思います。でも、一番はあの日になればみんなが帰ってくるということ。先祖も若者もみんなが集まるのです。それは生まれ育った大迫が父や母のような存在だからだと思うのです。その地域に育てられ、ここまで育った。でも何か劣等感がある。これは地域がまさに父や母のような存在であるという意味だと思うのです。
町にはあんどんの日に集まろうって約束して外へ出ていく若者もいるでしょう。帰りたくても帰れない若者もいるでしょう。地元に残る若者もいる。帰ってくる友人、恋人、息子、娘を待っている人もいるでしょう。だからこそ、4つの山車を見上げる日を楽しみに帰ってくるのです。だってその日になれば再会できるんですからね。
だから、僕はその多くの人が帰るべき大迫をなくしたくないんです。外へ出て、帰る場所。ふるさとがなかったら絶望しますよね。きっとそれは僕も同じなんです。東京はほんとうに目まぐるしく変化します。どんどん変化し、何がもともと何処にあったかわからなくなるくらいです。でも、実家はそのままあります。実家に帰るたびに、まわりは変わっても実家は残れ。って思うことが強くなりました。僕にとって実家自体が父や母なんだと、僕は考えます。僕は今、二つの「ふるさと」を身近に感じてます。なので、大迫に帰ってくる人のために、僕は最後まで、ぶどうで頑張らさせていただきます。
Photo by 藤野里美
[1] 毎年8月14日、16日に花巻市大迫町で行われるお祭り
http://www.kanko-hanamaki.ne.jp/event/event_detail.php?id=45