2016.03.15
東北ピックアップ
【思い出ご飯】素直なおにぎり
ちょっと前の話になりますが、
“日本の食文化”がユネスコの無形文化遺産に登録されましたね。
和食の“美味しさ”だけでなく、健康性や美しさ等が評価され、
さらにはその“季節性”や“表現力”なんていう観点でも認められたのだとか。
ぼくら日本人は、当たり前に普段から食べている和食。
そんな日々に密接しているからこその“良さ”を、
一番に感じられる、最高の「和食」が、
“おにぎり”だと、ぼくは思います。
ぼくらの伝統的な主食でもあるお米が、人の手で優しく包んで握られて、
温もりのような、旨味のような、なんともいえない幸福感を含んで、
これまた愛らしいフォルムとなって、これまた手で持って、頂くわけです。
こんな幸せなことに、ぼくがちゃんと気付いたのは2年半前。
とある人から貰った“おにぎり”が、それはそれは美味しかったんです。
気仙沼を訪れるたびにお世話になっている、商店街のコロッケ屋のお母さん。
自然と「お母さん」って書いちゃうくらいに、ホントに第二の家族のような存在。
いつもどおり、イベントのお手伝いを終え、おやつにコロッケを食べ、
夕方のバスに乗って東京に帰らなきゃいけないので、みんなに挨拶をし、
そして休憩中のお母さんの家に寄ってお別れしてから、バスに乗り込むところでした。
「ありがとうございましたーーー。また年末までには来ますから!」
なんていう、いつもどおり曖昧な約束をして、家を出ようとしたとき。
ビニール袋に、丸まったアルミホイルを2つ突っ込んで、僕に渡してきました。
「今日コロッケしか食べてないでしょう。バスの中でもあまり匂わないから、これ食べて帰って。」
そのアルミホイル2つが、今でも忘れらない、過去最高の“鮭としらすのおにぎり”なのです。
今までも商店街のお土産として、お菓子とか乾物を頂いちゃうことはありましたが、
この、なんでもないおにぎりが、どうしようもなく嬉しくって美味しくって。
ふだん東京に住む自分とは遠く離れた人の温かさを頂いたことも、
本来は支援活動として気仙沼に来ていたのに、逆に与えられてばっかりなことも、
嬉しさと、無力さと、それら全部を包んでくれる優しさと。
なーんだか、このおにぎりに、それまでの想いが自然とこもってるような、
そんな気がしちゃったんです。今思えば、ちょっと感傷的になってたせいかも。(笑)
いやぁ、けど、美味しかったなぁ。あったかいなぁ。
・・・とまぁ、なんだか陳腐な、ありきたりなことを思ったエピソードなのですが、
こういう素直な「ありきたり」の良さを、受け入れられたことも、
ぼく個人としては少し大人になれた気がして、それも嬉しかったのです。
この想いを繋いでいくことで、東北に少しずつ恩返しができたら。
そう思うようになった、一つの大事なきっかけなのでした。
そんな、ちょっと大げさに言ってみたかった、おにぎりのおはなしでした。
23才、男性。