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「東北が好き」その想いを形に。
2013年、
トレジオンが始まった。
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当時現場に出入りしていた他のNPOさんたちもいたのですが、なかなか活動が継続しないのが現状で、撤退していく団体も多くありました。
復興支援というと、助けに行くみたいな感覚をお持ちの方も多いと思いますが、僕は当時その...何もなかったので、逆にこっちに来て活動していく中で、ボランティアの仲間と一緒に活動するのもそうですし、被災された方々からは感謝を伝えて頂けるのが本当に嬉しかったんです。僕にとっての生きがいというか...やりがいというか...そういうものを与えて頂けて、むしろ僕が「東北の方々に救われた」と活動していく中で思っていました。

活動を続けていくためには、やっぱりお金が必要で、そのお金を寄付金とか助成金とかだけに頼らず、自分たちでお金を生んでいければ、継続的に活動できるかなと思って、2013年に東京の赤坂に第1号店をオープンしました。そこで「食」を通じて、東北の魅力を発信し始めました。

当時、妻と僕は同じNPO法人に所属していたので、復興イベントなどでよく顔を合わせていました。第1号店をオープンさせてから、当時学生だった妻にここでバイトをしてみないか、と声をかけたんです。
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2013年東京赤坂 1号店にて 最初はスタッフ10名で始まった
貴子
アルバイトに関しては、他のいろんなところも経験しましたが、当時の店長(慶さん)がすごく人のことを思う熱い人だという点に魅せられて、トレジオンでバイトをすることにしたんです。
「東北のことが好きで、東北のために恩返ししたい」という純粋な気持ちでやっているのを強く感じました。その思いに共鳴して、今があるという感じですね。

東北の好きなところとして「人があたたかい」「食べ物がとっても美味しい」「自然が豊か」など、たくさん好きなところがあります。都会というか関東の方にいると、なかなかそういうものに触れることもなくて。だからこそ感じる、東北の「良さ」というものがありますね。
政也
トレジオンって、在京で東北にボランティアに行ったことがある方々が集まる、中心地のような場所で。ボランティア界隈では、みんな知っている場所だったと思います。ハブ的な場所でしたね。

ハートフルな人たちが多くて、すごく素敵な雰囲気だな、というのをずっと思っていて。
僕は、創業から1年半ぐらいあとにアルバイトとして入らせてもらいました。入社する前までの吉田との関係性は「お店の人とお客さん」みたいな感じでした。聞いた話ですが、当時から僕は、仲間に入れてほしいオーラをすごい出していたっぽいです(笑)
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東京赤坂 1号店にて
がむしゃらに走り抜けた10年。
振り返って、
今の僕たちが思うこと。
__慶さんの行動力と熱い想いが、多くの人々を引き寄せるのですね!赤坂の1号店の他に、盛岡に2店舗、宮城に2店舗と、どんどんお店を展開されていますが、この10年間を振り返るとどんな日々でしたか?
東北を応援したいという仲間と、赤坂で一緒にやっていく中で「生産者さんからたくさん入荷したい」とか「東北の物をもっと売りたいな」とか「もっともっと東北に貢献したい」という気持ちがずっとあって。1店舗で席数も30席弱のお店だったので、どうしてもそういうインパクトは出せなかったんですね。

一方で、お客様とスタッフを連れて、農家さんや漁師さんのところに行って取材をしたり、お手伝いをさせてもらったりしていて。実際に見たものや携わったものを僕たちが売ると、お客様には非常に伝わると思って、そういうこともしていました。
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生産者さんの畑にて、田植えの手伝いをしている様子
でも取引額としては、本当に月で何千円とか、いっても数万円とか…。やっぱり僕としてはそこに少しジレンマがあって、ビジネスでやるからには、もう少しその部分でしっかり貢献できるようになりたいと思って、2017年を境にお店を赤坂で増やし岩手と宮城にも展開していきました。
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トレジオン盛岡店にて
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トレジオンエスパル仙台店にて
政也
僕、大学院を中退してトレジオンに就職したんです。かたや理系の大学院生として就職活動を迫られたときに、もちろん理系っていう分野がすごい好きで入ってきた分野だったので、研究職をこのままやろうっていう道もあったかもしれないですが、机に向かって淡々と作業する日々があんまりモチベーションにならなかったんですよね。それよりは僕は、トレジオンでアルバイトをしている時間の方が楽しかったんです。自分がいろいろ感じてきた東北の美味しい食材や、生産者さんとのエピソードをお伝えしたり、当時の店長(慶さん)から教えてもらった料理をお客さんに提供したりして。

自分が見てきたもの、触れてきたもの、感じてきたものを説明しているうちに、お客様も喜んでくださって、自分が作った料理や、自分が提供した料理を目の前で喜んでくれる人がいるという環境が、仕事のエネルギーとモチベーションにも繋がっていました。どうせ仕事をするんだったら自分が納得する仕事じゃないと働けないなっていうのは思いとしてずっとあったので、専門職ではなく、この道を選びました。飲食店って僕にとっては結構天職だなと思いましたね。
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